晴れたり曇ったり

病気が変えた毎日

関節リウマチとともに働くということ

  
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smejiroです。20代で関節リウマチを発病して20年以上になります。現在も治療に通院中です。今では大きな炎症も少なく割と穏やかに過ごしています。

発病とほとんど同時に約11年勤めていた銀行を辞めました。働くことが不可能になったからです。けれども数年掛けてようやく外に目が向くようになり、冷静に考えてみれば将来の為にも治療を問題なく受けるためにもやっぱり収入が必要と強く思うようになりました。

この記事では、関節リウマチという持病を持って働いてきた経験について書いてみたいと思います。一個人の体験談です。何か参考になればという気持ちで書いたものです。

 

発病した時すぐに仕事を辞めたこと

発病時に約11年勤めていた銀行をためらいもなく辞めました。「休職すればいい」と言ってくれる同僚もいたのですが、「休職することで誰かに迷惑がかかる」ということがものすごく心の負担になると思い、辞めることが一番ストレスのない状況だと判断したからでした。

入行時に「辞めたい時には3ヶ月前には伝えて欲しい」と言われていました。申し訳なかったのですが、私の状況を理解して頂いていたので1ヶ月と少しで辞めることになりました。

辞めたことで仕事という大きな心理的負担が無くなり病気治療に専念することが出来ました。もちろん家族と同居していたから可能だったことですが。やむを得ないとはいえ辞めることは自分の意志ではなかったので、後々まで残念な気持ちはきえませんでした。

残念というのは、退社する時には上司や同僚などにきちんと挨拶をして華々しく辞めたかったのにという思いです。永く勤務していたのに中途半端な辞め方をしたのがとても悲しかったからです。

 

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 持病を持って働くと決めたこと

治療の甲斐もあり痛みなど体の状態が段々と落ち着いていき、5~6年後くらいには家から近くへの外出が一人でできるようになって徐々に外出時間も伸びていきました。気持ちも前向きなっていってましたので段々と将来のことまで考える余裕ができてきました。

そうなると年齢を考えれば今「就職」するしか無いと考えるようになり、担当医に相談しましたが「まだ今働くことはあまり勧めない」と言われました。でも私はどうしても働きたいのだと訴えたら「では、なるべくストレスが少ないように」と了解してもらいました。(結局駄目でも事後承諾みたいに強行するつもりでした^^;)

働かなければ収入もなく、治療も思うように受けられないし、将来のためにも年金や蓄えや必要なこと全てが出来ません。病気が落ち着いたらすぐにこういった不安でいっぱいになりました。実家にいるので当面の生活の心配はなかったのですが、将来的にはそうも行きません。

そんな思いから無理を承知で仕事をすることを決心しました。

仕事を探す

早速職安へ行き職探しを始めることにしました。すると、どう仕事を選べば良いのか全くわかりません。「ストレスの少ない仕事」ってあるのかな?と・・・。

ストレスよりも肝心なこともありました。私の体でどんな仕事があるのかということでした。どんな仕事があるかっていうか「雇ってくれるところはあるのか」ということです。

持病を伝えるか

仕事を探す上でまず考えたことは「持病のことを話すべきかどうか」でした。これについては少し迷いましたが「隠す」ことはせずに面接で正直に話すことにしました。伝える義務があるとかないとか色々意見があるようですが、私は、伝えたほうが自分にとっても会社にとっても都合が良いのではないかと思ったからです。

会社に知ってもらっておいた方が、私にとって無理なことは支持されないのではという期待もありましたし、持病を隠しているという負い目も感じたくありませんでした。負い目もストレスになり得るという気持ちもありました。

自分にとって都合のいい条件

結局仕事は「事務職」しかないと考えました。

  •  週休二日制
  • 従業員数が多い
  • 自分の車で通勤できる範囲

 以上のような条件で仕事を探しました。週休二日制なら週末に十分休養できますし、従業員が多ければ私が休んでも他の人に迷惑がかからないのではと、単純に思ったからです。休んでも目立たないかな?なんてこともです。家から近い会社であれば通勤での負担も少ないだろうと思いました。それともう一つ通院ができるかどうかも重要でした。

今までにやりたいこと等真剣に考えたことがなかったので、仕事を探すことは結構大変な作業でしたが、資格がなくてもできる仕事はあったので条件だけで探しました。

 

持病を抱えて働くということ

3ヶ月後ようやく希望にあった条件の会社へ採用してもらえました。もちろん持病を隠すこと無く、です。本当にホッとしました。担当医に話すと「週休二日制の会社なんて、運がいいね」と驚かれました。

私の住んでいる地元はベッドタウンのような町で、大きな会社は殆ど無く週休二日制も珍しいくらいだったからです。確かに「運がいい」一生懸命働こうと改めて思いました。

入社して配属された係は一般事務で、一日中机に座って帳票に記入したり計算したりの簡単な作業内容でした。座ってする作業とはいえ会社に慣れるまで仕事以外で色々気を使うことも多く、帰宅するとソファで横になったらもう動けません。そんな日々が続きました。

 同じ部署での仕事の移動も多く、慣れるに連れ責任も重くなっていきました。精神的のもきつくなっていく中、体調が悪い日が多くなり関節リウマチ以外でも色々ありました。

  • 新型インフルエンザ
  • ヘルペス
  • 3ヶ月続いた発熱
  • 足の裏の化膿
  • 過換気症候群
  • 喘息
  • 逆流性食道炎
  • 肺炎

等など、免疫が低いから色々なものにかかりやすいこともありますし、年齢的なものもまた、精神的に弱いこともあります。関節リウマチ以外の通院が増え、医療費の負担もそんな時は増えましたので、普通によくあることだとは思いますが、私には大変なことでした。

               発熱の女性のイラスト

辛かったこと

・一番辛かった事は仕事を休まざるを得なかったことです。休みやすいと思って従業員の多い職場を選んだつもりが、やっぱり現実は厳しかったです。責任感が出てくれば休みにくさを感じるのは当然のことでした。

・残業をする日が多く、一日の作業時間が自分の限界を越してしまうことがあり、そんな日のあった週末は2日とも動けませんでした。とにかく一日中寝ていました。週明けの月曜日まで尾を引くこともありました。

・製造業だったので、工場で生産した製品で不具合が出たり、廃棄が出たりそんな場合に事務職が駆り出されることが度々あり、立ちっぱなしで手を使ってするのでとてもつらい作業でした。

・関節リウマチの症状は毎日変わりました。どちらかといえば体調の良い日は少なかったように思います。特に会社で痛みの強い日はトイレに行くことや2階にある食堂に行くことも辛かったです。

・持病のことは会社へ伝えていましたが、実は同僚には誰一人伝えていませんでした。昔の偏見のような感じを受けた思いが忘れられなくて、病気への好奇心の目を避けたくて親しくなっても絶対に言いたくなかったからでした。何しろ変形を伴う病気ですから・・・。

結局同僚に話せなかったことで、助けを求めにくくしたことは感じていました。

良かったこと

・なんといっても収入を継続的に得られたことです。幸い何度も会社を休んだり、早退したりしても辞めて欲しいとは一度も言われたことは無く、なんとか20年働けました。自分の思いも「辞めてくれ」と言われないようにしたい、信頼してもらえて無くてはならない存在になれるようになりたい、と常に努力してきました。

根底にはやっぱり持病への引け目があったためと自覚しています。

・家で過ごした数年の間に友人との交流はほぼ途絶えていました。私が外出できなかったので誘われても出て行けず、疎遠になってしまいました。働き始めて会社の中で話すうち年齢が上の女性ばかりではありますが、親しくなることが出来て一緒にカラオケへ行ったりと、友人関係が築けたことがとても嬉しかったです。

改めて人と話すことが癒やしになることを知りました。

 ・毎日通勤できたということで普通に生活できるのだという自信に繋がりました。責任を持つことや簡単に休めないと思うことで、体調が悪くても「まず会社へ行こう。どうしても駄目なら早退すればいい。」といつも考え、結局よほどのことでない限り毎日出社出来ました。人それぞれですが私には働くことが一番の励みになりました。

働くことは生きること

持病があっても自分のため、家族のために働いている人は大勢いらっしゃいます。働いていた会社にもいらっしゃいましたし私もその一人です。どんな人も毎日働くことはとても大変なことです。

初めは自分の境遇をとても不幸なこととしか思えず、人を羨んでばかりいました。「なんで私ばっかりこんな目に合うのか。」と・・・。働き始めて出来ないことも知って、少し人と違うと卑屈にもなっていました。

そういう気持ちも、毎日働き続けることで自分自身に多少の自信も出てきたこともあって、以前ほど強く感じることはなくなりました。自分の状態を受け入れることがようやく出来たことで、気持ちに変化が起きたのだと思います。

働くことは収入を得ることだけではなく、人と関わることもできるし私には自信にも繋がりました。考え方や生活が良い方へ変化したことは、改めて無理しても働いて良かったと思えます。生き返ったという思いです。

一番は働ける程度の病状であったということで、それはとても幸運だったと思います。